西郷隆盛ゆかりの地日本橋小網町と震災からはじまる出会い
阪神淡路大震災
平成7年1月17日早朝。神戸の街は一瞬にしてがれきの山と化しました。西郷、福原は神戸の街で避難生活の中で最初の出会いがありました。神戸大丸の食品バイヤーとしてサラリーマン生活をしていた西郷と洋藝菓子「ボックサン」オーナシェフとして忙しい日々を送っていた福原は、避難生活と復興という状況下で最初の出会いをすることになります。時が流れ西郷が思い出したのは、避難所生活で疲れ果てた人たちに無償でお菓子を配る福原の献身的な姿でした。
再び新型コロナウィルスで生活が一変する
それから時は流れ令和のコロナ禍、百貨店バイヤーから転身し西郷家の歴史を守り、薩摩郷中(ごじゅう)教育を伝えるため年間150回にも及ぶ講演活動を行っておりましたが、新型コロナの影響で状況は一変、講演はすべて中止、これからどうしたものか東京で無為に時間を過ごしておりました。現在TATOがオフィスを構える日本橋小網町はかつて曾祖父隆盛が東京での居を構えた縁のある街。
一方福原の方も、会社は息子たちに譲り、長女の嫁ぎ先である東京にしばしば、上京しておりました。
大の甘党のDNAが目覚める
余談ですが、西郷家は隆盛の代から大の甘党。陸軍にビスケットを持ち込んだのも西郷どん。また今も残る薩摩名菓「かるかん」は大好物でした。ある時はどうしても薩摩の西瓜が食べたいと「千疋屋」に薩摩の西瓜を届けさせたりしています。まだ隠居する歳でもなし、今一度何かをやろうかと思い浮かんだのは「甘いものは人を幸せにする」DNAと、震災の避難所で少しでも笑顔を取り戻せたらとお菓子を無償で配り続けたあの時の福原の姿でした。
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